たくさんの思い出

先週、祖母が亡くなりました。今週はお通夜やお葬式でいっぱいいっぱいだった私。さらに追い討ちをかけるように、忙しくて寝ていなかった母が交通事故を起こし入院・・・(汗)
新車は廃車ですが、単独事故で誰にも迷惑をかけず、命にも別状がないので、本当によかったと思っています。DSCF1318

私はそんなに「おばあちゃんっ子」ってわけではなかったと思うのですが、孫4人の中で一番長く祖母と過ごし、祖母のために一番尽くしていたと自負しているくらい頑張っていたので、入院中、母や伯母の名前が出てこなくなっても私の名前だけは忘れず、祖母の最期の言葉も消えそうな声での「ゆっこちゃん」でした。
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98歳。世間から見ると大往生ですが、いつも一緒にいた私にとっては何歳でも同じ。亡くなる次の日、東京から妹も来てみんなで一緒に祖母の実家に遊びに行くことを楽しみにしていたので、連れて行ってあげれなかったことと、最期、急変して病院に向かっている途中の私を待ってくれずに逝ってしまったことだけが悲しくて仕方ありません。

祖母の実家は重要文化財に指定されている大瀧神社・岡太神社。大正生まれなのに、大学まで出て英語を勉強し、何度も海外旅行に行っていたオシャレでハイカラなおばあちゃんです。
超お嬢様だった祖母は、地元の大きな製紙工場に嫁ぎ、何不自由なく暮らしていたのに、戦争で祖父が戦死してから人生が一転。苦労だらけだったことをよく聞きました。

女手一つで母と伯母を大学まで出した祖母は、忙しかった母の代わりに私と妹の世話をしてくれ、大学の卒業式も出席してくれたのは母ではなく祖母。そんな祖母が私にいつも「人生は半分半分。楽ばかりしていると必ず苦労が待っていて、苦しい事を乗り越えると、必ず幸せなことがある」と言っていました。

ちなみに、伯母と母の名前は「修子(しゅうこ)」と「明子(めいこ)」
左が修子で上が明子。3人で米寿のお祝いに温泉に行った時の写真です↓
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2歳と8カ月だった子ども2人を残して戦死した祖父が「どんなことも修行すれば、必ず明るい未来がやってくる」と言う想いで名前を付けて戦争に行ったと言う話を何度も何度も聞かされました。
私も祖母に教えてもらったことを常に思い出しながら、これからも祖母とのたくさんの思い出を胸に、頑張っていこうと思います。
その前に、せっかく病院通いが終わったと思ったのに、祖母が入院していた病室の5つ隣に入院した母のための病院通い、ガンバリマス。

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